「教員の質の低下」について 2

 引き続き、最近の教員の不祥事を見てみましょう。

 

岐阜県の中学校教諭(33歳男性)が、学校の備品(電子てんびんや楽器など)38点を盗んだほか、顧問を務めていた運動部の口座からおよそ42万円を横領。逮捕・起訴され、懲戒免職処分に。「ギャンブルで生活費を使ってしまってお金に困っていた」と供述。

 

○ 東京都の高校教諭(43歳男性)が、学校が所有する指導用教科書や問題集計9冊をフリーマーケットアプリに出品し、1万1580円の利益を得た。「自分の収入とする目的で販売した。生徒の信頼を裏切ることになり申し訳ない」と供述。教諭は懲戒免職。

 

 ただの泥棒です。とても分かりやすく「質の悪い」教員です。こういう人間が、子供達に向かって「ルールを守ろう」なんて言っていたのかと思うと、怒りが湧いてきます。

 

滋賀県の小学校教諭(50代男性)が、2年生の男子児童を一方的に発達障害と決めつけ「言葉を知らない」などと罵ったり、他の児童に「スルー(無視)しよう」と呼びかけたりした。まわりの児童も同調し、いじめに発展した。教諭は体調不良を理由に休職。

 

広島県の小学校教諭(女性)が、担任する6年の男子児童に対して、宿題を忘れたことなどを理由に「地球から消えてほしい」「顔も見たくない」といった暴言を繰り返した。児童は2学期から不登校に。教諭は、校長とともに児童の保護者に謝罪。

 

大阪府の中学校教諭(60歳男性)が、3年の男子生徒に対して「コロナ菌が飛び散るから前を向け」と発言。また「これから皆も彼のことを『世話のやける君』と呼んであげてください」などと呼びかけた。生徒はこの教諭の授業に出席しなくなる。教諭は停職3カ月の懲戒処分。

 

 子供達は、どれほど傷ついたことでしょう。本当に悲しくなります。残念でなりません。こうした発言には、その人物の人間性が、人権感覚の乏しさが表れています。上記の滋賀県の学校では、30代の講師が別の児童をキャラクターに例えてからかい、同級生によるいじめに発展した事例もあったとのことですから、学校全体の人権感覚が疑われます。

 こうした教員の根底には、子供達を劣った存在と見る差別意識があります。ものを教える仕事である教員が、陥りやすい落とし穴です。学級運営の悪い形として「学級王国」という言葉があります。教員が王様気分になって、子供達を都合良く使ったり、蔑視して暴言を吐いたり、体罰に抵抗がなくなったりする状態です。教員は本来、世界に蔓延する差別や分断と戦い、子供達の人権感覚を高めていく存在であるべきです。差別意識に対しては怒りを燃やしていてほしいと思いますし、自らにそんな意識が入り込んでいないか、厳しく自省してほしいと思います。

 子供達が人間として健全に成長していくためには、教員の人権感覚が高いレベルに保たれていることが重要なのです。親や教員といった身近な大人の生き方が、子供達の手本なのですから。「教員不足」や「教員の質の低下」が待ったなしの問題だというのは、こういうことです。

 次のような事例もありました。

 

大阪府の支援学校の教諭(20代女性)が、小学1年生の児童の背中に「ぼくは先生の給食を勝手に取って食べました。反省しています」と手書きした紙を貼り、昼休みに約20分間廊下や教室を連れ歩いたとして、教育委員会が訓戒処分にした。児童は自分の給食を食べた後、教諭が席を外した際に教諭の給食を食べたとのこと。教諭は貼り紙について「ほかの教諭が児童に声をかけるきっかけになると思った」と説明。複数の教諭に話しかけてもらうことが児童の意思疎通にプラスに働くのではないかと考えていたとのこと。教諭は病気休職後に依願退職

 

 事例の児童は、支援学校に通う日常の意思疎通が難しい児童だったようですが、支援学校や支援学級などでは、子供達を劣った存在と見る差別意識がより強くなりがちです。

 病気・障害・加齢・家庭環境・経済状態など、様々な理由で「弱者」と呼ばれる人々がいますが(私はこの呼び方は嫌いですが)、残念ながら、こうした人々に対する差別や虐待が社会的にも問題になっています。立場の弱い人に対する接し方には、人間性がよく表れると思います。教員は、そうした人々を「弱者」などとは見ない、同じ人間として人権を尊重する人であってほしいと思います。

 この事例の場合、1年生が先生の給食を食べちゃったという話を、笑い話として広めようとしたのかもしれませんが、罪状を書いてさらし者にするということが、人権という観点から見て問題だと気付くべきでした。「嫌だ」とはっきり言えない相手だからこそ、人権感覚が問われることになります。自分がそんなことをされたら、屈辱や羞恥を感じたに違いないのですから。

 一方で、教員の人権意識が乏しかったとしても、なかなかクビにはなりません。前述の泥棒教員は、明確に犯罪者なのでさすがに免職ですが、問題発言で子供達の心をどれだけ傷つけても、せいぜい停職です。私の中では、備品を盗んだ奴よりも、子供を傷つけた奴の方が罪が重いのですが…。

 さらには、教育関係者の隠蔽体質も根強く残っています。

 

○ 2019年に熊本県の男子生徒が自殺。その背景に、小学生当時の担任による不適切な指導があるとされた。この教諭は、2014年からの5年間で40件の行為が体罰などに認定されていた。教育委員会は、これまで処分をせずに勤務させたことについて「異動していたということと、現任校の子どもに対しての同じような内容のものがあるとかないとか。総合的に考えて、きょうまで勤務を継続させた」などと説明。当面の間この教諭を教壇に立たせない措置をとると発表した。亡くなった生徒の母親は、この措置に対して「教育委員会の判断でできるなら、問題が起きているときにしてほしかった」と話した。

 

○ 2021年9月、兵庫県の小学校教諭(39歳男性)が暴言・体罰などの問題で懲戒免職に。教育委員会によると、暴言や体罰は2018年度以降34件繰り返されていた。校長や教頭は、他の教職員から男性教諭の指導について複数回相談を受けていたが、いずれも口頭注意にとどめ、校内調査や市教委への報告はしなかった。教育長は「人権意識が著しく欠けた悪質な体罰や暴言を常習的に行っていたことは極めて遺憾であり、被害者や市民の皆さまに心から深くおわびする。教職員に綱紀粛正を徹底し、再発防止に向けて取り組む」とコメントした。

 

 社会の注目を集めるような、衝撃的な事件がいくつも発生し、こうした隠蔽体質にも批判の目が向けられるようになりました。それによって改善されつつあることも事実ですが、まだまだです。教員個人の問題だけではなく、教育界全体の組織的・構造的な問題も大きいのです。しかし、教育関係者は基本的に公務員であり、政策によって動いていますから、国民の声で変えることができます。教育の善し悪しを決めるのは私達だという意識で、厳しく注視することが大切です。

「教員の質の低下」について

 「教員不足」に追い打ちをかけるように、教員になろうとする人も減少しています。教員採用試験の倍率は低下し続けており、ほとんどの自治体で2倍未満になっています。今のところ1倍未満になってはいませんが、前述のように「教員不足」が発生していることを考えれば、そもそもの募集人数が不足しているとも言えます。このままの状態が続けば、「教員不足」を解消しようとして募集人数を増やした場合、1倍未満になってしまう自治体も出るでしょう。

 教員志望者が減少すると、「教員の質の低下」が懸念されます。実際、教員による不祥事が増加傾向にある自治体も少なくありません。体罰やわいせつ行為など、報道で目にするような不祥事はごく一部であり、大きな問題として取り上げられない不祥事も数多く発生しています。

 「質の低下」という言葉は多くの要素を含みますが、不祥事の増加に表れているのは「人間としての質の低下」です。「社会人・職業人としての質の低下」とも言えるでしょう。その人の「倫理観」や「価値観」、「社会性」や「道徳性」、「見識」や「生き方」が問われているのです。教員のこうした力(倫理観・社会性・見識など)が低下すれば、子供達のこうした力を学校で育てることができません。社会全体から、それらの力が徐々に失われてしまいます。

 社会全体の犯罪発生率に比べれば教員の犯罪発生率は低いため、教員の不祥事は批判するほどのことではないと主張する声もありますが、低いのが当然なのであって、「不祥事の増加」を許す理由にはなりません。教員の立場・役割を考えれば、それに適した「質」を確保したいというのが社会の当然の要求です。こうした要求のレベルを下げざるを得なくなっているのが現状だと思いますが、それはつまり、「国家としての質の低下」を意味します。人をつくるのも、国をつくるのも教育なのであり、「教育の質」とは、つまり「教員の質」なのですから。

 

 具体例として、最近の不祥事を見てみましょう。

 

○ 姫路女学院高校のソフトボール部顧問(40代男性)が、地区大会にユニホームを忘れて来たことを理由に生徒(16)の顔をたたく。女子生徒は顎が外れた状態であったが、5時間以上立たせたまま、「帰れ」「お前なんかいらん」などと暴言を浴びせ続けた。大会は翌日も行われたが、そこでも尻を蹴る、頭をたたくなどの暴行を加えた。

 

 体罰は減少しているものの、なかなか無くなりません。特に、運動系の部活動における体罰は根深いものがあります。虐待や体罰は連鎖する傾向があるようですが、自分が過去に体罰を受けていたとしても、体罰を肯定する理由にはなりません。体罰や暴言なしで指導ができないとすれば、単純に指導力が不足しています。教育者としての適性がないと言わざるを得ません。

 上記の例は、体罰の事例の中でも特にひどいものですが、さらに衝撃的だったのは次の事例です。

 

○ 埼玉県の小学校の教諭(24歳女性)が、給食に漂白剤を混入。カレーの入った食缶を開けた際に児童が異臭に気付いたため、健康被害は発生しなかったものの、全校児童の安否確認などで学校は騒然となる。逮捕された教諭は、動機について「昨年度担任していたクラスの担任を外され悔しかった。人事にとても不満があった」などと供述。

 

 漂白剤を混入されたクラス(6年)は、逮捕された教諭が4年・5年と2年間担任していたクラスでした。何年間継続して担任を務めるかという基準は、地域や学校によって多少の差はありますが、基本的には長くて2年です。3年連続で担任することは、ほぼあり得ません。そんなことは当然分かっていたはずですから、不満を感じていること自体が筋違いです。そして何より許せないのは、その身勝手な不満を、2年間も担任していたよく知る児童に向けたことです。子供の安全を守ることは、教員の最重要の職務だと言えます。取るに足らない自己の都合で子供の生命を危険にさらすような人間に、教員になる資格はありません。

 この教諭は、児童や保護者の評判は良かったようです。結果から考えれば、周囲からの評判を高める行動も、自分本位の身勝手な動機によるものだったのでしょう。対人経験の少ない児童や、教員との接触が少ない保護者が、教員の人間性を見抜くことは難しいものです。ですから、監督する立場の校長や教頭、教育委員会などには、しっかりと仕事をしてもらわなければなりませんし、採用の段階で良い人材を集めることが重要なのです。

 ここまでひどい事例は極めて希ですが、大きな問題が発生する背後では、小さな問題が増加しているものです。「教員不足」・「教員志望者の減少」という現状は、適性を欠く人物でも採用せざるを得ない状況に追いこまれているということですから、放っておけば今後も不祥事は増加し、より悪質なものも発生するでしょう。大切な子供達を預ける学校ですから、国民全体で関心を高め、改善していかなければなりません。今すぐに、です。

「教員不足」について 3(非正規教員のこと)

 悪化する「教員不足」の主な原因は、予算をケチる行政。それがよく表れているのが、「非常勤講師」「臨時的任用教員」「再任用教員」などと呼ばれる「非正規雇用の教員」の状況です。

 2022年5月の時点で、非正規雇用教員の割合は17.82%(小学校16.56%、中学校17.74%、高校18.68%、特別支援学校22.36%)。6人に1人以上の割合です。当然、地域や学校によって差はありますので、さらに高い割合になっている学校も多くあります。

 非正規雇用の教員が増えた原因として、「定数崩し」と呼ばれる義務標準法の改正(2001年)があります。小学校は35~40人を1学級、中学校と高校は40人を1学級として教員の定数を算出し、国の負担額(義務教育費国庫負担金)を決めていましたが、非常勤講師も算入してよいことになりました。正規教員にだけ使えた補助金が、非常勤講師にも使えるようになったということです。単価の安い非常勤講師を増やそうという発想になるのも無理はないのかもしれません。

 そして、小泉内閣が2004年から実施した「三位一体改革」が大きく影響します。「国庫補助負担金の廃止・縮減」「税源の移譲」「地方交付税の見直し」の三つを一体として進めた改革なのですが、各自治体の教育財源は不安定で脆弱なものになりました。その一環として、義務教育費の国庫負担金が減額され、教員給与の国の負担が2分の1から3分の1に減りました。しかも「総額裁量制」の導入によって国庫負担金の使い道は自由になり、「国立学校準拠制度」が廃止されたことで、国立学校教員の給与額に準拠していた教員給与額を自由に決められるようになりました。

 つまり、財源確保は難しくなり、教育予算(教員の給与)は自由に削減できるようになったのです。その結果、多くの自治体は教員の給与を削減しました。その状況では当たり前なのかもしれませんが、教育の重要性に対する各自治体の見識が露呈したとも言えるでしょう。

 教育予算をどうケチるか。その方法が非正規教員の増員でした。安く雇える人間を増やして、教員一人あたりの単価を下げたわけです。不況の続く日本では、非正規雇用の増加は民間企業でも問題になっていますが、教育公務員の世界でも同じことが起きていたのです。しかし、民間企業では定着しつつある「同一労働・同一賃金」の考えが、教育界にはまだまだ定着していません。企業では、正社員と同じ業務や責任を非正規社員に負わせることが禁じられていますが、非正規教員は正規教員とほぼ同じ業務や責任を負わされており、給与や休暇などの雇用条件は悪いのです。

 急激な少子化も、非正規教員の増加に影響しています。解雇できない正規教員を増やしたのに、少子化で学級数が減って教員が余るようなことがあれば、無駄に給与を払うことになると思うのでしょう。いつでも首を切れる非正規教員は安くて便利な緩衝材なのです。分かりやすい事例としては、新入生の人数がギリギリ3クラス分だという場合、新1年制の担任には非正規教員が1人は入ります。転校などの都合で新入生が減り、2クラスになってしまった場合に切り捨てるためです。

 非正規雇用の教員は、産休や病休などの穴を埋めるために雇用される場合が多いため、雇用期間も保障されていません。雇用・解雇は年度の途中で不規則に行われますし、休職中の教員の復帰が早まったなどの理由で、突然解雇されることもあります。勤務開始日を、4月1日ではなく「入学式当日から」などと設定して、4月分の諸手当を支給しないような予算のケチり方も常套手段です。

 雇用が継続されるか不安な弱い立場ですから、理不尽な仕事もなかなか断れません。正規教員より多くの仕事を抱え込んでいる人もいますし、非正規教員が担任したがらないクラスの担任を任されることもあります。病休補充で雇用される場合には、学級崩壊によって担任が精神を病んだというケースが多いのですが、正規教員が心を病むほどに荒れたクラスを、初対面の非正規教員が年度途中に突然任されることになります。どれほど苦しい状況になるか、想像できますか?

 私自身も非正規教員として長く働きましたが、病休補充として3学期開始のタイミングで雇用されたことがありました。病休に入った担任は3月に戻るとのことで、私に与えられた時間は2カ月。かなり厳しい戦いを強いられましたが、校長が「なんとか立て直したい」という熱い思いを持っていてくれたので、共に乗り越えることができました。ちなみに、病休の担任を3月に戻したのは、別の学校へ移動させる手続上の都合です。私個人は子供達のためになれば満足ですが、こんな使われ方をされれば、非正規教員は疲弊していく一方でしょう。ボロボロにして使い捨てるつもりだとしか思えません。結局、正規教員にならないまま、教職を離れてしまう若者も多いのです。

「教員不足」について 2

 なぜ、教員が不足しているのか。NHKが教育関係者に教員不足の要因を尋ねたところ、以下のような結果でした。(複数回答)

「不足が出たときに臨時で教員になることを希望して名簿に登録する人が減少した」88%

特別支援学級が見込みより増えたこと」59%

「産休・育休を取る教員が見込みより増えたこと」53%

「病気で休職する教員が見込みより増えたこと」43%

 

 みなさんは、この回答を見てどう思いますか? それならしょうがないか、と思えますか? 私には、教育行政の完全な失策としか思えません。「見込みより増えた」というのは、見込みが甘かった、見込みが間違っていたということであり、見込みが外れた場合の対応策もなかったということです。

 産休や病休の人数が、突然2倍や3倍になったりはしません。実際、ここ数年の病休者は5000人前後で推移しており、大きな変化はありません。つまり、何人の欠員が出るか予想することは、難しくないのです。結局、対応策を真剣に考えていなかったとしか思えません。

 

 こうした状態の基になっているのが、最も回答の多かった「不足が出たときに臨時で教員になることを希望して名簿に登録する人が減少した」という考え方です。教員になろうと志した人は、都道府県ごとに実施される教員採用試験を受験します。ここで、不合格になった場合に欠員補充の非常勤講師として働く意志があるかどうか確認する書類の提出を求められます。これは、「教員として働きたいなら、欠員が出たら声かけてあげるから、名簿に登録しておきなさい」ということなのですが、この仕組みの裏には「登録している人は、教員になりたくて声がかかるのを無職の状態で待っている。声をかければすぐに仕事をしてくれる」という幻想があります。大学進学における浪人のように、「教職浪人」という言葉があることも、そうした考え方を表しています。

 かつては、そうだったのかもしれません。しかし、20年以上もダラダラと不況が続く日本で、いつになるか分からない採用を無職で待とうという人は少ないでしょう。しかも、教員になろうという人は年々減り続けているのです。そんな不人気な職業に対して、呼べばすぐに来ると思っているとすれば、致命的な時代錯誤です。

 こうして問題が大きくなってきて、多少は対策としての動きも出てきましたが、残念ながら大部分が的外れです。例えば、文科省は先日、教員採用試験の時期の前倒しや複数回実施などを検討すると発表しました。民間企業の内定が出る時期にぶつけることで、人材が企業に流れないようにするらしいのですが、どう思いますか? とりあえず、魅力において教員という仕事は企業に勝てないと、文科省は認めてしまったようですね。教職人気の低迷に、拍車がかかりそうな気がします。東京都では、転職情報サイトでの教員募集が始まりました。ハローワークで募集している自治体も増えているようですし、学校で配付される「学校だより」で教員を募集した事例もあります。山梨県では、県内で教員として勤務すれば、奨学金の返済を一部補助することにしたそうです。末期症状です。涙ぐましい努力ではありますが、良い方法とは思えません。熊本市では、非常勤講師の希望者にICT機器の研修を行うことで、希望者を増やそうとしているそうですが、それでは増えないでしょう。

 現場の人間は散々苦しんでいますから、ここまでの勘違いはしていません。問題は文部科学省都道府県議会、教育委員会など、行政側にあります。結局、人員が不足する一番の要因は、多くの人員を確保するための予算をケチっていることです。ですから、行政を動かす立場の私達国民一人一人が、情報を知って問題意識を持ち、「教育に金を出せ。出さない奴には投票しない」と声を上げていくことが重要です。

「教員不足」について

 教育現場では日々多くの問題が起きていますが、「教員の数が足りていない」ということはご存じでしょうか。「教員の仕事はブラック」というイメージが広がっていることや、「教員になりたい人が減っている」「教員採用試験の倍率がどんどん下がっている」ことなどは何年も前からニュースになっていますが、効果的な対策は実施されず、今のところ状態は悪化し続けています。

 NHKの調査によると、今年5月の時点で教員が2800人不足していました(小学校1487人、中学校778人、高校214人、特別支援学校321人)。去年から735人増加しています。

 「不足している」というのは、本来いるべき教員がいないということです。なんとなく人手が足りないというのとは訳が違います。どれだけ大問題なのか、いくつか事例を紹介します。

 

 愛知県の中学校では、美術担当の教員が「不足」し、1学期の美術の授業が行われませんでした。

 広島県の中学校では、理科と国語の教員が「不足」し、4月分の授業が実施できませんでした。

 熊本県の中学校では、社会科担当教員の産休を埋める教員が「不足」していたため、社会科の教員ではない教頭が2クラス同時に図書室で授業をしました。

 東京都の小学校では、82歳の非常勤講師が「不足」した教員の穴を埋めるために、契約外の授業や給食の手伝いなどを行っていました。週7時間の担当授業以外は無給です。

 千葉県の小学校は、教員が3人「不足」した状態で新学期がスタート。「担任が未定」という状態のクラスがあり、本来は担任を持たないはずの再任用の教員(退職後に再雇用されている教員)が担任の仕事を務めることに。6月になって、教員不足を補助する教員が担任として着任しますが、勤務できる講師が見つかったことで2学期から担任が交代。1年間で3人目の担任になりました。

 

 こうした問題が、全国各地で発生しています。みなさんの身近な学校でも、程度の差こそあれ、「教員不足」による様々な問題が発生しています。自分の子供が、同じ学費を払っているにもかかわらず、受けられない授業があったり、教科の免許を持っていない教員に授業を受けることになったり、担任がコロコロ変わってクラスが落ち着かなかったり、先生達がバタバタしていてちゃんと指導してくれなかったりなんていう状況に置かれていたら、どう思いますか?

 なぜ、こんなことになっているのか。問題を解決するためには、どうすればいいのか。そこが重要ですよね。何回かに分けて、そのあたりの話をしたいと思っていますが、まず言えるのは「国や自治体が教育にお金を出さない」ことが、根本の大問題だということです。

 日本は、諸外国に比べて教育にお金を出さない国です。経済協力開発機構OECD)が公表した2017年のデータでは、国内総生産に対する教育への支出の割合が、OECD諸国平均4.1%に対して日本は2.9%。比較可能な38か国中37位でした。

 これは、国が「教育を軽視している」ということです。未来を担う子供達や、子育てに奮闘する親達を軽視しているということです。歴史的にも、教育に力を入れた国は発展し、教育を軽視したり悪用したりした国は衰退しています。今すぐ何とかしなければならない、重大な問題なのです。

テストの珍解答に思う

 ある高校で、新入生の入学時に行われたテストの話です。私は社会科の採点を担当したのですが、思わずツッコミたくなる解答が多々ありました。

 

 例えば、「日本に初めてキリスト教を伝えた人物は?」という問題。歴史上の人物の中でも、不思議なほど有名な「ザビエル」が正答なのはもちろんですが、不正解の中でも特に衝撃的だったのは「イエス・キリスト」です。まさかの、キリスト教創始者ご本人が、極東の島国まで布教に来られたという斬新な主張。神の子ゆえのミラクルを発動させれば可能なのかもしれませんが・・・。

 

 続いて、「第二次世界大戦後、日本が独立を回復した後もアメリカの統治が続き、1972年になって日本に復帰した都道府県は?」という問題。もちろん、沖縄県が正答です。それ以外の都道府県が入り込む余地はないように思えますが、思いがけず多くの不正解がありました。その中でも大問題だったのが「滋賀県」と「岐阜県」です。

 

 こうした珍回答はテストにはつきものですし、なんとか答えをひねり出そうとした結果として思わず生まれたものは、かわいげがあって好感が持てます。しかし、上記のような誤答には危機感を感じます。

 

 ザビエルの件で言えば、「イエスの生きていた時期」と「日本にキリスト教が伝わった時期」がいつ頃なのか理解できていないことが分かります。大航海時代以後の欧州各国による植民地政策とキリスト教布教の関係性、貿易による勢力拡大を狙う戦国武将とキリスト教の関係性なども、理解できていないだろうと思われます。青森県に「キリストの墓」なる物があり、イエスは日本で亡くなったという話が伝わっていたりしますが、それを根拠にして解答したとすれば、テストで問われていることを理解する力が欠けていると言えます。

 

 沖縄の件では、ソ連・中国に隣接している日本に東西冷戦の前線基地を置きたいという「アメリカが占領を続けた理由」や、軍事基地の建設における港の重要性などを理解できていないことが分かります。理解できていれば、海の無い内陸県は最初に除外されるはずです。「滋賀」「岐阜」は絶対に選びません。まあ、「滋賀」「岐阜」がどこにあるのか知らないのかもしれませんが・・・。現在の沖縄県に多くの米軍基地が置かれていることも、知っているのかどうか怪しくなってきます。知っていてこの解答であれば、推測する能力が低いということになるでしょう。

 

 こうした状況は、子供達の学習が「テスト対策の単語の暗記」に偏っていることの弊害とも言えます。歴史や地理といった社会科の分野は、とかく暗記科目と思われがちですが、語呂合わせで年代や人物名を覚えるだけでは、いつまでたっても「この勉強ってなんの意味があんの?」という段階から抜け出せないと思います。残念でなりません。本来の社会科は、無数の事象が複雑に絡み合った「社会」の仕組みや動きについて理解を深め、これからの社会の改善につなげるための学びです。特に義務教育段階の社会科が、そうした深い学びの場であってほしいと願って止みません。

みんなで『男はつらいよ』を見よう!

お題「ゆっくり見たい映画」

 

 ゆっくり見たい映画。これはもう、なんと言っても『男はつらいよ』シリーズです! なにしろ全50作ありますからね。ゆっくりでいいので、是非見ていただきたい。

 私が映画館で見ることができたのは50作だけでしたが、上映中の客席は、笑いも涙も共有できるステキな空間でした。この温かい空間を、盆と正月に共有できた当時がうらやましい限りです。人の心の温かさがじんわり染み込んできて、優しい気持ちになれる名作ぞろいです。

 できれば全部、順番に見ていただきたいところですが、いきなり50作は大変だという方も多いでしょうから、私の思う外せない回を紹介します。

 まず、1作と2作。ここは外せません。主人公の「寅さん」とは何者か、基本をおさえるためにも、まず見ていただきたい。

 そして、寅さんの最高のパートナーと言ってもいい「リリーさん」の登場回、11作『寅次郎忘れな草』、第15作『寅次郎相合い傘』、25作『寅次郎ハイビスカスの花』、48作『寅次郎紅の花』を見ていただければ、もう寅さんの世界にハマれるはず。

 さらに、42作『ぼくの伯父さん』、43作『寅次郎の休日』、44作『寅次郎の告白』、45作『寅次郎の青春』を見れば、甥っ子「満男くん」の恋模様で物語に深みが加わります。

 日本には、こんなにも素晴らしい映画があった。こんなにも温かい人々がいた。こんなにも美しい景色があった。人生について、たくさんのことを教えてくれる珠玉の名作です。是非ご覧下さい!